吉田兼好の徒然草 「すこしのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり。」 紀井健次の平成ネット本屋さんブログ

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吉田兼好の徒然草 「すこしのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり。」

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石清水の八幡宮

晩秋の石清水の八幡宮 2008年


仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石清水(いはしみず)を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年頃思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
 すこしのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり。
 
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仁和寺

(現代語訳)
 仁和寺にいたある法師が、年を取るまで、石清水の八幡宮に参拝したことがなかったので、それを残念に思い、ある時思い立って、たった一人で徒歩で詣でたそうだ。そして、ふもとの極楽寺や高良社などの付属の末社を拝観して、これで全て見終わっだ思い、帰ってしまったそうだ。其の後、仲間の法師に、「長年思っていたことを果しました。聞いていたのよりず〜と尊くあらせられました。それにしても、参詣していた人々がみんな山に登ったのは、山の上に何事かあったのだろうか。私も行こうとは思ったが、神様へ参詣するのが本来の目的だと思い、山の上の事までは見ませんでした」と言ったという。
 
 そういうわけだから、ちょっとしたことにも、指導者はあってほしいものだ。

仁和寺(春の彼岸) 2008年


▲解説 上記の訳だけでは良くわからないと思う。
山の上には何があったのだろうかが問題である。すなわち山の上の奥の院こそが石清水の八幡宮
のメインの建物、すなわち本殿であったのでした。

つまり入り口だけをつまみ食いして、知らずに本命を見ないまま帰路についたという話である。

だからガイドブックを持っていけばよかったのにと言っている。
それをもっと押し広げて「少しのことでも指導者に付いて教えを請う方がいいですよ」と言っているのである。

現在でも仁和寺はある。仁和寺に行くと日本人はおそらくこのはなしを思い浮かべ古を思い起すのに違いない。徒然草52段は石清水八幡宮の本殿が男山の山頂にあることや、麓の摂末社も相当に壮大な造りであることを知っていて、初めて理解できる逸話である。
現在では岩清水八幡宮へは八幡市駅前からケーブルが出ておりますので、間違いがないと思いますよ

余計な事だがこのはなしは作り話ではないかと思われる。
 「すこしのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり。」という事をいいたいがために考え付いたのであろう。
徒然草は1329年-1331年頃の成立とおもわれる。700年ほど前の随筆である。

すらすら読める徒然草すらすら読める徒然草
(2004/04)
中野 孝次

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[ 2008/12/21 17:43 ] 古典 | TB(0) | CM(0)
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